高等学校を選ぶのは誰の役目?
高等学校への進学は、今まで公立の小学校、中学校で学んできた子供にとっては初めての入試という試練を迎える。
そして、自分の将来を考え始める時でもある。
今の時代は学力だけで高等学校を選ぶ時代ではない。
親の言われるままに、教師の言われるままに高等学校を選ぶ時代でもない。
子供が主体となって選択をし始めているのだ。
親や教師はその主体性を認めてあげる必要がある。
なぜなら、選択とは、自分の人生において、いついかなるときも必要なスキルだからだ。
高等学校進学までその選択権を人任せにするようでは、今後の人生のあらゆる選択において苦労することは目に見えている。
自分で選択したことならば、たとえ後悔しても納得がいくものである。
現代の若者がなにかと人に責任転換するのは自分で選択してこなかった結果ではないだろうか。
自分の行いには責任が伴うことを早い段階から教育することも、親としての大切な仕事だ。
そういう意味では高等学校の選択は子供にとって初めて責任を伴う選択と言える。
何を基準にするかは子供によって様々だろう。
だが、それを否定するのではなく、その結果を見届けるのも親の仕事だ。
スポーツで選ぶ場合もあるだろう、制服がかわいいからと選ぶ場合もある。
その選択の基準がどれほど稚拙なものであっても、子供が納得し、親が妥協できる範囲を互いに話し合いで解決するべきだ。
高等学校進学の時期になると、子供も家庭における金銭的な豊かさにも敏感だ。
「自分の家は貧乏だから私立にはいけない」といった負担を子供にかけないことも親として選択肢を広げるための重要な役目である。
目指せ文武両道
日本には古来から文武両道という言葉がある。
学問にも武芸にも優れていると言う意味である。
今風に言えば、勉強もスポーツも優れているといったところか。
実際の高等学校において文武両道を謳っている場合、どのような取り組み、学習システム、部活への力点を置いているのだろうか。
まず注目されるのが、集中力をいかに養うか、である。
集中力が増すことによって、より短時間で効果的な学習が可能だ。
同じ内容の授業をしていても、クラス全体がざわざわとしてとる場合と、皆が集中し静かなクラスとでは、その理解度が変わってくることは容易に想像できる。
この様な落ち着いた、集中出来る授業に出来るかどうかは、その学校の教師達の取り組みにかかっている。
そして、その集中力がクラブ活動へと生きてくる。
クラブ活動といっても、スポーツだけが全てではない。
もちろん、文科系のクラブ活動においても集中力が重要なことは想像に難くない。
どうしてもスポーツが注目されるのは、それが高校野球であったり、インターハイであったりと、テレビに露出する機会が多いからではないだろうか。
実際、音楽専門高等学校ではない学校が全国優勝するようなブラスバンドのクラブもある。
文武両道の本質は勉強だけが出来るのではなく、それ以外にも自分に自信の持てる何かを作りだすことが出来るかということではないだろうか。
勉強だけで貴重な高等学校3年間を終わらせてしまうのは、とてももったいないことだ。
様々な経験をし、自分の得意分野を見つけ、自分の将来したいことを見つけるとても大切な期間だ。
高等学校は大学に行くための準備期間ではない。
子供たちが成長する上で重要な価値観や将来像を養うとても貴重な時間だ。
何かに3年間、自分の全てを捧げて取り組んだというその自信が将来の宝となるのではないだろうか。 |